好きな理由嫌いな理由
僕が井上陽水を好きな理由は曲よりも考え方。
その昔フォークの全盛期に、歌の力で世の中を変えていこう!と吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、小室等などが集まってアーティストによるレコード会社ができた。
大物が集まれば古い社会は変えられると皆思ったが、結局業界のルールに阻まれ、自力でレコードを流通させることができなかった。
結局、吉田拓郎社長が頭を下げてとあるレコード会社から流通させてもらったという。
その後、皆他のレコード会社に行ってしまったが、その当時の事について井上陽水がどこかの記事で話していた。
『皆さんは意気込んで歌から世の中を変えていこうとしていたけれど、私は結局どんな歌も娯楽でしかないと思っていた。ただ誘われたからそこに加わったけれど』
アントニオ猪木を好きな理由は、プロレスがリングの上だけでないということだ。
あらゆる仕掛けでリング外でも驚かせる。
隙を見せない。どこからどこまで本気かわからない。
しかし、これを嫌がる人たちがいて、馬場さんの明るく楽しいプロレスが王道だという。
私も最近気持ちがわかる。
わりと自然体に近い気もする。
しかし、この形にはドキドキしない。
結局は魔性ではないのだ。
私たちはサウナの存在も、温泉をも、どんなに専門家が語り尽くしても娯楽の一部だと思う。
いやサウナ道にはガヤガヤみんなで騒いだり、熱風を送りにきたりそんなシキタリはないのだ!と怒る方もいる。
私たちのような狂ったサウナに来て、お前らウルサイというのは残念ながら、アントニオ猪木に向かって、あんた邪道だ!というようなものだ。
私はサウナもお風呂も娯楽だと言い切る。
『お宅のような健康増進施設・・』という言い方をする人もいるが、私は『ただの騒がしい風呂屋です。』と言わしていただいている。
温浴が無理に、健康健康と呟く必要もないし何より無理がある。
お客さんだって、ただ風呂に入りたいとかサウナに入りたいという方であって、結果血行が良くなって健康的になることがあっても、そんなに健康を意識している訳じゃないと思う。
わりと騒がしいシンプルな施設だが、こうでなければならないという勝手な思い込みとのギャップに戦わなきゃならない時があるのだ。